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所蔵資料群
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丹下都市建築設計所蔵マイクロフィルム(データ)

  • JP 02
  • フォンド
  • 1953年-1989年

 当該資料は、建築家の丹下健三が率いた東京大学「丹下研究室」及び株式会社都市・建築研究所(のちに丹下健三・都市・建築設計研究所、丹下都市建築設計に改組)が作成した設計図面等を撮影したマイクロフィルムである。撮影対象は主に設計図面で、業務上参照したと考えられる図書や映像フィルムも一部含まれている。
 株式会社丹下都市建築設計の設計による案件のうち、約半数に及ぶ施設の設計図書がマイクロフィルム化されており、その期間は48年間にわたる。広島平和記念公園、今治市民会館、国立代々木競技場、東京マリア大聖堂、静岡新聞・静岡放送本社、草月会館など、1950年代から60年代の丹下健三を代表する芸術的・技術的評価の高い作品に関する設計図面が、案件ごとに異なるリールで撮影されており、複製による資料群として体系的な価値を構成している。

 資料群はオリジナル(銀・ゼラチンフィルム:保存用)79本、デュープ(ジアゾ又はベシキュラフィルム:業務使用)61本の計140本で構成されており、92件の内容が記録されている。1本あたりのコマ数は、少ないもので20~30コマ、多いもので400コマ程度あり、総カット数は15,000コマを超える。
 寄託後平成29年1月に劣化防止のため、全ての資料を金属缶から取り出し、アーカイブ用のマイクロフィルムリール、中性紙帯、中性紙箱への交換を行った。これらは別途保管している。

株式会社丹下都市建築設計

ル・コルビュジエ作 緞帳『闘牛14号』(旧東急文化会館「渋谷パンテオン」緞帳)

  • JP 09
  • フォンド
  • 1956年

本資料は建築家坂倉準三が、師であるコルビュジエに原画の制作を依頼し、「闘牛14号」と題する原画作品をもとに川島織物合資会社(現:株式会社川島織物セルコン)が西陣織の技術を用いて製作したもの。

原案:ル・コルビュジエ/緞帳製作:東京急行電鉄株式会社

高橋靗一・第一工房資料 (靗一の「靗」は青偏に光。以下全て同様)

  • JP 23
  • フォンド
  • 1958年~2015年

本資料群は、第一工房の発足当初から解散直前までの期間に、同事務所において作成された建築設計図書、写真、スケッチを中心とする資料である。代表作である大阪芸術大学のコンペ案及び実施図面をはじめ、佐賀県立博物館などの60、70年代の作品から、群馬県立館林美術館や白河市立図書館といった後期の作品まで、一連の建築作品の設計図書が含まれる。それらの資料は、建築設計図書や工事写真・竣工写真・各種申請書・構造計算書・報告書といったプロジェクト記録、高橋靗一氏のスケッチや個人写真等の個人文書、雑誌の抜き刷りや出版・展覧会事業に関する諸資料といった専門文書、スライド等の教員文書という属性に大別される。第一工房の解散後、高橋氏の別荘で保管されていた資料を、2017年12月に国立近現代建築資料館へ全点移送した。

高橋靗一、第一工房 (靗一の「靗」は青偏に光)

こどもの国建築関連資料

  • JP 17
  • フォンド
  • 1959年~1974年

本資料群は、こどもの国の施設建設にあたって作成された事業記録に関する書類、工事契約書、寄付金関係書類などで、1959年~1974年の間にこどもの国建設協力会において作成されたものである。また、施設の設計を担当した建築事務所が作成した青焼き図面も含まれる。

財団法人こどもの国建設協力会、浅田孝、イサム・ノグチ、菊竹清訓、大谷幸夫、黒川紀章、大髙正人、鈴木彰 他

村田豊建築設計資料

  • JP 7
  • フォンド
  • 1960年-1988年

本資料群の内容は大きく三種類に分けられる。まず、村田豊個人の原稿などからなる専門文書、次に会計書類などを含む会社記録、最後は図面、写真、模型、映像などからなるプロジェクト記録資料である。

村田豊、村田豊建築事務所

原広司+アトリエ・ファイ建築研究所資料

  • JP 25
  • フォンド
  • 1963年~1999年

主に2000年までの作品の建築設計図面(約15000枚)である。
代表作品は網羅されており、アトリエ・ファイ設立以前(RAS建築研究所)の資料も含まれている。JR京都駅ビル、新梅田シティ・スカイビル等の巨大プロジェクト含む、実現した作品の資料のほか、多種多様な挑戦的プロジェクトも含まれている。

原広司、RAS建築研究所、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所

安藤忠雄初期建築資料

  • JP 28
  • フォンド
  • 1969~1990年頃

本資料群は、安藤忠雄建築研究所創設(1969年)から1990年頃までに制作された手描きの設計原図を中心とするもので、すべて同建築研究所内で作成され、保管されてきた。図面の内容は、同建築研究所の慣習にならって、設計開始から竣工へと至る設計過程において、修正、必要詳細図の追加等を重ねた設計図面を、竣工段階で竣工図として集成したものである。この点は、基本構想、基本設計、実施設計、施工図と分類されて作成される一般の設計事務所の図面とは性格が異なっていることを確認している。当該資料群に含まれる1990年代までの設計作品、更にいえば、日本国内にあり、住宅と住宅的に小規模ながら打ち放しコンクリートを用いて当時の社会が抱える課題に建築的に応えた作品群は、その後、活動の場を海外に広げて大規模かつ多様になる安藤忠雄の建築世界の理解にとって不可欠である。

安藤忠雄、安藤忠雄建築研究所

吉阪隆正+U研究室建築設計資料

  • JP 8
  • 1952年頃~1980年頃

本資料群の内容は大きく二つに分けられる。一つは、主にル・コルビュジエの事務所で描いたと思われる図面資料を含む、吉阪研究室(後のU研究室)開設以前の1954年までの資料。もう一つは、開設以後の1954年~吉阪隆正が亡くなる1980年までの資料である。いずれも図面、スケッチ、文書等から構成されている。

吉阪隆正、吉阪隆正+U研究室

岸田日出刀建築資料

  • JP 20
  • フォンド

岸田建築研究所作成の図面と、岸田日出刀個人資料に大別される。図面は80枚程度。個人資料は調査旅行等の日記帳三冊、調査時に撮影した写真を収めたマイクロフィルム、自著、他著などに分けられる。

岸田日出刀

ヴァスムート(Wasmuth)社旧蔵吉田鉄郎著作資料

  • JP 27
  • フォンド
  • 1935年以前から1957年

本資料群は、吉田鉄郎によるドイツ語の著作〝Das Japanische Wohnhaus"(第2版)、〝Japanische Architektur"、〝Der Japanische Garten"に関する原稿やスケッチ・指示書で、吉田鉄郎が逝去直前の1956年までに作成し、ドイツのヴァスムート社に送付したものを、ヴァスムート社が保管していたものである。
原稿(写真、図)、吉田によるページレイアウトや指示したスケッチなどからなる。
吉田による日本の住宅や建築への理解を示す貴重な資料である。

吉田鉄郎

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