識別情報のエリア
レファレンスコード
タイトル
日付(複数可)
- 1934〜1936年頃、1986年頃 (作成)
記述レベル
フォンド
数量と媒体
工芸製品図面写真とメモ:222点
工芸製品図面青焼及コピー:130枚
工芸製品とドールハウス写真:5シート
“TAGESNOTIZEN ARBEIT FŰR INOUE”(タウトの井上工芸研究所の仕事の備忘日録のコピー):1点
“TAGESNOTIZEN ARBEIT FŰR INOU
備忘日録 應需井上作”(タウトの備忘日録の和訳のコピー):1点
“これまでの東北工大におけるブルーノ・タウト関係論文のリストと水原徳言氏所蔵タウト関係図面資料概要”:1点
“ARCIA THEORIE”(ドイツ語と英語の目録):1点
コンテクストのエリア
作成者名
履歴
1880年5月4日ケーニヒスベルク生まれ。1909年、フランツ・ホフマンと共同で、ベルリンで設計事務所を設立。
1916年、トルコのコンスタンチノープル(現イスタンブール)にドイツ・トルコ友好会館建設1921年~24年、マクデブルク市建築課勤務。1924年、ベルリン住宅供給公社ゲハークの主任建築家就任、ブリッツ・ジードルング等を設計する。1930年、ベルリンのシャルロッテンブルク工科大学客員教授。1932~33年、ソビエト連邦にて活動。1933年5月3日来日(敦賀着)。1934年、高崎に移住、井上工芸研究所顧問として工芸製品のデザイン、製作指導を行う。1936年10月15日離日、同年イスタンブール着。1938年12月24日心臓疾患で病没(58歳)。
作成者名
履歴
作成者名
作成者名
履歴
リポジトリ
アーカイブズ資料の来歴
当該資料群の工芸製品図面は、ブルーノ・タウトのスケッチをもとに、1934〜1936年頃、水原徳言氏ら井上工芸研究所の日本人スタッフが実施制作のため図面に書き起こしたものである。その後、水原徳言氏が保管していたが、1986年に庄子晃子氏がこれらの図面の写真を撮影し、リストを作成した。1986~88年頃、水原氏が保管していた青図の一部と庄子氏が作成した写真及びリストがシュパイデル氏に寄贈された。2020年10月、国立近現代建築資料館に移管。
直接の取得先または移管元
2022年10月、マンフレッド・シュパイデル氏により寄贈
内容と構造のエリア
範囲と内容
本資料群は、ブルーノ・タウトが高崎に在住した時の活動に関わるものである。タウトは工芸製品のスケッチを描き、水原徳言氏ら井上工芸研究所の日本人スタッフが実施制作のために図面を書き起こした。図面にはタウトのサインや印鑑があるものもある。1986年に庄子晃子氏がこれらの図面の写真を撮影し、リストを作成した。その後、1986~88年頃、マンフレッド・シュパイデル氏は水原氏より一部の青焼図面と、前述の庄子氏作成の写真の紙焼とそのリストを譲り受けた。なお、シュパイデル氏が譲り受けた図面は水原氏所有の図面の一部であり、庄子氏が作成した写真紙焼資料およびそのリストは、水原氏所有図面の全貌を示している。また、タウトがこれらの家具・日用品をデザインした折の日記・忘備録のコピーおよびそれを水原徳言氏の兄・徳恒氏が日本語訳したもののコピー、シュパイデル氏作成のドイツ語目録4冊も併せて寄贈を受けている。当該資料群はブルーノ・タウトが日本滞在中に作成した家具・日用品のデザインに関する資料であり、建築から家具に至るまでトータルにデザインを考え、多くの日本人建築家に大きな影響を与えたタウトの業績を理解する上で欠かせない資料である。
評価選別、廃棄、スケジュール
追加資料
編成システム
アクセスの条件のエリア
アクセスの条件
著作権:国立近現代建築資料館(一部を除く)
公開条件:国立近現代建築資料館の公開規定に従う
複製の条件
国立近現代建築資料館の複製規定に従う
言語資料
資料のスクリプト
言語とスクリプトの注記
物理的特徴と技術的要件
一部資料のデジタルデータあり
検索手段
ファイルレベル及びアイテムレベルの目録利用可能
関連資料エリア
原本の存在と所在
庄子氏及びシュパイデル氏作成資料については原資料である。その他図面や日記等の原資料の所在については不明である
コピーの存在と所在
関連する記述記述単位
出版物の注記
『ブルーノ・タウト 桂離宮とユートピア建築』 マンフレッド・シュパイデル監修、ワタリウム美術館編/オクターブ、2007年2月
『ブルーノ・タウト 1880-1938』 マンフレッド・シュパイデル、セゾン美術館(一條彰子、新見隆)編著、トレヴィル、1994年