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所蔵資料群
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坂倉準三建築設計資料

  • JP 1
  • フォンド
  • 1939年-1969年

本資料群は、坂倉準三建築研究所において作成された建築設計図書、写真、スケッチ等に加え、坂倉個人に関する記録を含めた建築家坂倉準三及び坂倉準三建築研究所の事業記録に関する総体である。資料群に含まれる属性は、①個人文書(スケッチ、ノート、図書、マイクロフィルム、個人写真等)②専門文書(図書、ビデオ、記事切抜き、出版や展覧会事業に関する諸資料等)③会社記録(給与等会計書類)④プロジェクト記録(建築設計、都市開発等の設計図書、模型、工事写真、竣工写真、マイクロフィルム、申請書、報告書、パンフレット等)⑤美術品・工芸品(書跡、典籍等)に大別される。

坂倉準三建築設計資料

  • フォンド
  • 1939年-1969年

本資料群は、坂倉準三建築研究所において作成された建築設計図書、写真、スケッチ等に加え、坂倉個人に関する記録を含めた建築家坂倉準三及び坂倉準三建築研究所の事業記録に関する総体である。資料群に含まれる属性は、①個人文書(スケッチ、ノート、図書、マイクロフィルム、個人写真等)②専門文書(図書、ビデオ、記事切抜き、出版や展覧会事業に関する諸資料等)③会社記録(給与等会計書類)④プロジェクト記録(建築設計、都市開発等の設計図書、模型、工事写真、竣工写真、マイクロフィルム、申請書、報告書、パンフレット等)⑤美術品・工芸品(書跡、典籍等)に大別される。

大髙正人建築設計資料

  • JP 10
  • フォンド
  • 1937年頃-2010年

本資料群の内容は大高建築設計事務所(1962~2010)で行った建築・都市計画業務に関する資料で、設計図書・報告書・写真等からなる。

大髙正人 大高建築設計事務所

シュパイデル旧蔵ブルーノ・タウト関連資料

  • JP 26
  • フォンド
  • 1934〜1936年頃、1986年頃

本資料群は、ブルーノ・タウトが高崎に在住した時の活動に関わるものである。タウトは工芸製品のスケッチを描き、水原徳言氏ら井上工芸研究所の日本人スタッフが実施制作のために図面を書き起こした。図面にはタウトのサインや印鑑があるものもある。1986年に庄子晃子氏がこれらの図面の写真を撮影し、リストを作成した。その後、1986~88年頃、マンフレッド・シュパイデル氏は水原氏より一部の青焼図面と、前述の庄子氏作成の写真の紙焼とそのリストを譲り受けた。なお、シュパイデル氏が譲り受けた図面は水原氏所有の図面の一部であり、庄子氏が作成した写真紙焼資料およびそのリストは、水原氏所有図面の全貌を示している。また、タウトがこれらの家具・日用品をデザインした折の日記・忘備録のコピーおよびそれを水原徳言氏の兄・徳恒氏が日本語訳したもののコピー、シュパイデル氏作成のドイツ語目録4冊も併せて寄贈を受けている。当該資料群はブルーノ・タウトが日本滞在中に作成した家具・日用品のデザインに関する資料であり、建築から家具に至るまでトータルにデザインを考え、多くの日本人建築家に大きな影響を与えたタウトの業績を理解する上で欠かせない資料である。

ブルーノ・タウト

篠井家旧蔵吉田鉄郎城端郵便局資料

  • JP 29
  • フォンド
  • 1927年頃

本資料群は、吉田鉄郎が同郷の城端郵便局第四代局長篠井多喜雄に設計を依頼されて作成した城端郵便局(設計1927年、建設1927-28年頃)に関連する資料である。城端郵便局の設計図面(青図)と設計時に吉田が篠井多喜雄に送付した仕様書とスケッチを含む書簡(1927年9月22日消印)からなる。加えて、所蔵者の厚意により篠井家が所蔵する当該建築の写真の複製の許可を得た(原本は返却)。同城端郵便局は後年に解体されたが、当該資料群は篠井家で保管され、2020年6月に篠井家の蔵から発見された。当館は、別途吉田鉄郎建築設計資料を所蔵しているが、城端郵便局に関しては図面(原図1枚)しかなく、本資料群は上記資料を補完する貴重な資料である。

吉田鉄郎

吉田鉄郎建築設計資料

  • JP 18
  • フォンド
  • 1915年頃-1957年頃

吉田の学生時代の作品(1919年以前)から最晩年の美松書房(1953年)までの、個人の作品だけでなく、逓信省としての作品も含まれている。戦前の日本の近代建築の推進に寄与した吉田鉄郎の公私両方における活動と彼の設計思想を示す貴重な資料である。

吉田鉄郎

渡辺仁資料

  • JP 13
  • フォンド
  • 1904年-1967年頃

本資料群は、渡辺仁の建築活動を断片的に伝えるものだが、渡辺が熊本の第五高等学校第二部に入学する前後(
1904年頃)から欧米視察に行く1926年頃までのスケッチ帳、東京帝国大学工科大学建築学科在学中の設計課題、大正末の洋行時に書かれた書簡、昭和初期までの建築作品に関する写真アルバム、戦後、1953年に渡辺高木建築事務所を設立し、1967年に黄綬褒章が授与されるころまでの図面、文書資料等から構成されている。

渡辺仁

吉阪隆正+U研究室建築設計資料

  • JP 8
  • 1952年頃~1980年頃

本資料群の内容は大きく二つに分けられる。一つは、主にル・コルビュジエの事務所で描いたと思われる図面資料を含む、吉阪研究室(後のU研究室)開設以前の1954年までの資料。もう一つは、開設以後の1954年~吉阪隆正が亡くなる1980年までの資料である。いずれも図面、スケッチ、文書等から構成されている。

吉阪隆正、吉阪隆正+U研究室

岸田日出刀建築資料

  • JP 20
  • フォンド

岸田建築研究所作成の図面と、岸田日出刀個人資料に大別される。図面は80枚程度。個人資料は調査旅行等の日記帳三冊、調査時に撮影した写真を収めたマイクロフィルム、自著、他著などに分けられる。

岸田日出刀

ヴァスムート(Wasmuth)社旧蔵吉田鉄郎著作資料

  • JP 27
  • フォンド
  • 1935年以前から1957年

本資料群は、吉田鉄郎によるドイツ語の著作〝Das Japanische Wohnhaus"(第2版)、〝Japanische Architektur"、〝Der Japanische Garten"に関する原稿やスケッチ・指示書で、吉田鉄郎が逝去直前の1956年までに作成し、ドイツのヴァスムート社に送付したものを、ヴァスムート社が保管していたものである。
原稿(写真、図)、吉田によるページレイアウトや指示したスケッチなどからなる。
吉田による日本の住宅や建築への理解を示す貴重な資料である。

吉田鉄郎

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